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私たちが暮らすこの国には、世界に誇ることができる四季折々で様相を変える、美しい自然があります。
諸外国の住まいでは、文明の発展と共に、周囲の自然を排除し、独立した屋内環境を形作る方向で進みます。多くは、人の健康を維持するには、自然が過酷過ぎるために、そのようになると思われます。英語で窓を意味するWindowはvindr(wind)+aqura(eye)、「風の目」(風の入り口)が語源のようです。光ではなく、風を感じるところから始まっているのが興味深いですが、昔はガラスは嵌っていなかったので、当然なのかもしれません。
比較的マイルドな気候の期間が長い我が国では、江戸時代にみられる「市井の山居」のように、意識的に自然をより積極的に生活に取り込む傾向があります。
このことは庭木のデザインにも象徴的に表されており、西洋庭園では、幾何学模様に庭木を強制するのに対し、和風庭園では、わざわざ里山を庭に再現しようとします。
日々仕事に追い回され、自然を楽しむ余裕のない私たちの現代生活ですが、そのような中でもできるだけ自然の力を生活に利用する方法はたくさん、あります。
葉擦れ(ハズレ)は、ささやかな風の動きの存在を、控えめに知らせます。体で感じる通風だけではなく、聴覚でも意識することで、風の涼感が増す、という研究報告があります。雨音(アマオト)、風の音(カゼノネ)、日本語自体の優しさと相まって、少し意識するだけで心の余裕が生まれる不思議な音です。
木漏れ陽は、時間と風により微妙にゆらぎながら直接射入する光と、葉を通して緑に染める間接光のバランスで、名画に入り込んだような光景を身近に実現します。
打ち水は、本来は、夕暮れの日が沈む時に火照った庭を冷ますのに用いられたようです。この頃に通り抜ける風と相まって、涼感が増したものと推察されます。
このように暮らしの中で、時々に応じた技を使って自然と折り合いをつける、単なる技術ではなく、それを駆使することで暮らしそのものを豊かにする本当の知恵と言えるのではないかと思います。
一方、最近は風の取り込みや日射の射入について、居住者にいつどのタイミングで行えば適切か、教えてくれる機械が作られ、スマートハウスという名称の住宅には大抵、導入されているようです。スマート=賢い、という意味ですが、機械の言うままに行動することが賢いのでしょうか。
私の車にはナビがついていません。たまにナビのついた車に乗ると本当に便利です。どこでも簡単に行けます。ですが、道を全く覚えません。行く過程の風景も、ろくに記憶に残らないように思います。地図とにらめっこしながら、必死になってたどり着こうとすれば、周囲もそれだけ一生懸命見ます。ナビの指示のもと走ると、運転という行為自体が変ってくるようです。
私たちの暮らしにナビが必要なのか、今、あらためて問いかけたいと思います。