第2回 「夏をもって旨とすべし」を問う

「妻というものこそ、男のもつまじきものなれ(男は妻帯などもってのほかである)」、「子というものなくてありなん(子供はない方が良い)」、いきなり反社会的な文で始まりましたが、これは筆者の造ったものではありません。これらは、兼好法師が徒然草で書き残したものです。皆さんはご存じだったでしょうか。

「家のつくりようは夏をもって旨とすべし、冬はいかようにも過ごせるが、夏はどうしようもないので、住まいは夏の暑さ対策を基本に作ることが基本である」、蒸し暑い気候条件の中で金科玉条の如くに言われてきたフレーズです。今でも、住まいづくりに携わっている人、興味を持っている人の多くが好んで使っています。開放型の夏型住宅と密閉型の冬型住宅では、建物の構造から、窓の設定も大きく変わってきます。どちらを基本とするかは、確かに、非常に重要なコンセプトです。

ですが、これは本当に正しいのでしょうか?私たちの日常生活において、昔からそうだった、だからそのやり方で正しい、と言われることが多くありますが、調べていくと根拠が曖昧なものも結構、目立ちます。

正倉院の校倉造は、三角形の木材の乾湿による収縮・膨張により通風が制御され、結果、庫内の湿度変動が抑制され、宝物の保存に役立ってきた、と言われます。いわゆる、校倉造りの調湿効果ですが、このことは、宮内庁の調査により、明確に否定されています。実際には、密閉性の高い箱に納め、年に一度、干すことで乾燥程度を保ってきたようです。この校倉造の調湿効果は、明治のさしたる根拠もない時代に言われ始めたことが、独り歩きを始め、今に至っているようです。

夏をもって旨とすべしも、そのひとつではないかと筆者は考えております。そもそも、吉田兼好とよく言われますが、兼好法師は、孫の時代に占部姓から吉田姓に代わっているようで、存命中に吉田兼好と名乗ったはずがないともいわれます。徒然草は、当時の世相を、ユーモアを交えて的確に、ある時はシニカルに表現した名文集ですが、冒頭に挙げたように、そのすべてが私たち日本人の規範となるものではないのです。

第五十五段の全文は以下です。
「家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪へがたきことなり。深き水は涼しげなし、淺くて流れたる、遙かに涼し。細かなるものを見るに、遣戸は蔀の間よりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈くらし。造作は用なき所をつくりたる、見るもおもしろく、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。」

後半に、高い天井はよろしくない、とも書かれています。この点に気をつけて、低い天井を作っている人がどれほどいるでしょうか? 結局は皆さん、自分に都合よく取捨選択して利用しているようです。「夏をもって旨とすべし」だけが頻繁に使用される状況を見て、兼好法師が苦い顔をしているような気がしてしょうがありません。