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このシリーズ、初めから書いているように、「昔から言われている」と言われることほど不確かなものはありません。しかしながら、日本建築が木と紙でできている、言われることは相当の真実に基づいていると考えられます。なぜなら、それらがとても身近な材料であったからです。
現代の建築は世界中の様々な材料を利用することが特徴と言えますが、これは移動を補助する機械の存在があってこそです。昔はクレーン車もトラックもなかったので、住宅はその地で最もありふれた素材で作ることが普通でした。石がありふれた南ヨーロッパでは石づくりで、土や草が身近なアフリカや南アメリカの中緯度地方では、日干し煉瓦や草・土で壁を作っています。日本と同じように森林資源の豊富な北アメリカ、北ヨーロッパでは、日本と同じように木で住まいを作ってきました。適度に柔らかく、耐久性に優れるという素晴らしい性質を持っていることは事実ですが、木という素材が最も優れていたという理由で選択したのではないでしょう。
住まいづくりにおいても、木材を柱と梁に使用するスタイルは、かなり古くから、おそらくは平安時代に既にその原型は使用されていたものと考えられます。しかしながら、開口部は時代と共に、大きく変化してきたようです。
初めは、「間戸」と呼ばれたように、壁の一部が固定されておらず、左右に開く壁、という存在が開口部でした。小屋梁等の架構がしっかり組まれるようになってから、比較的形状の自由な窓が誕生したものと推察されます。では、それはいつごろのことだったのでしょうか。
意外なことに、窓が今のように大きくなったのは、二百数十年前、江戸時代の中期以降、寝具が一般に流通・普及し始めた頃のようです。そんなに大昔のことではないのです。
そもそも、冬の寒い夜を過ごすために暖かい寝具の存在は欠かせないものですが、その寝具がそんなに古いものではないのです。江戸幕府の産業振興策の一つに綿花栽培が推奨され、これの主産物として綿布団の生産が開始されました。花街で利用され始めたものがここを通じて、庶民の生活に入って行ったものと考えられています。これ以前は、藁床で藁に埋もれて寝るか、一晩中つけっぱなしの囲炉裏を囲んで、菰の上で寝転がるか、くらいがせいぜいであったものと思われます。布団は敷布団と掛け布団で別々の進化を示し、特に掛け布団は、東北・北関東地方の「掻巻」に変化していったのも興味深い事象です。
第二回で書いたように、いかようにも住まわる、と書かれている冬の住まい、布団がなくては、決して楽なものではなかったのです。逆に、布団が出回り始めてから、住まいの窓がどんどん大きくなり、今でいう、通風主体の夏型住居になってきたと言えます。
窓と布団、無関係に見える二つが、実は冬の寒さという点でつながっていたのです。筆者は時間があれば、板ガラスが利用される前のヨーロッパの民家における夜の暮らしを研究してみたいと思っています。